活動レポート

あとりえ企画 シリーズ 環境を考える 第5回 『水俣・芸能・未来』

2006年11月26日

〔プログラム〕

第一部 久木野の俵踊り 荒馬座
     杉本肇さんのお話
     水俣の海に生きて-杉本家の五十年-

第二部 2001・水俣ハイヤ節
     竹の炎 竹楽器の演奏
     袋町の棒踊り 共演 荒馬座

杉本肇さん 水俣病公式確認から50年の今年。今回のあとりえ企画は、荒馬座から水俣を考えようと、水俣より、杉本肇さん・実さんご兄弟と鴨川等さんの3名をお招きして、肇さんの講演と水俣の芸能で綴る企画となりました。

荒馬座が、杉本栄子さんという一人の漁師と出会って10年。水俣病の患者である栄子さんから、お話をお聞きし、また踊りを教わる中から「2001水俣ハイヤ節」が生まれました。そしてこの踊りは、水俣病、そして長い間続いた裁判の為にズタズタになってしまった人々の絆をつなぐ「もやい」なおしの一つとして、水俣の子どもたちに踊り継がれています。

今回は、栄子さんの息子さんである肇さんに、患者家族であるご自身の体験をお話ししていただきました。大好きだったおじいさんはじめ家族が次々と水俣病で倒れていく不安、その不安から同級生に暴力をふるってしまったこと、漁が出来なくなる事への不信、やり場のない苦しさの中で水俣を出たこと等々...。


2001・水俣ハイヤ節 患者の方とはまた別の苦しみを持ちながら、悩みつつも再び水俣へ戻って漁師となり、水俣、水俣病と向き合っていこうとする肇さん。その姿に共感し、水俣病のことはもちろん、家族の絆についても考えさせられた、という声がたくさん寄せられました。また、実感から「いじめる側の子どもたちの家庭、背景にも目を向けなければ」という肇さんの言葉に頷く先生の姿も見られました。

そんな話の後だけに、実さん、鴨川さんも加わっての芸能の披露は、参加者の胸に響いたようです。棚田の広がる水俣・久木野の「俵踊り」、水俣名産の竹を使った竹楽器を演奏する「竹の炎」、袋地区に伝わる「棒踊り」、そして、スライドで水俣の風景を映しながら演奏した「2001水俣ハイヤ節」では、肇さんに歌詞を作って唄ってもらいました。漁師の眼と故郷への思いの込められた唄は映像とも相まって感動を呼びました。

力強く、また楽しげに演じる肇さんたちの姿は、困難の中からも立ち上がる人間の明るさ、力を感じ、芸能とは、その人間に力を与え、人々をつなぎ、地域を作っていくものだと改めて実感するものでした。

私たちは芸能を通じて、人が手を携えて生きる楽しさ、素晴らしさを、未来を生きる子どもたちにも伝えていきたい。それを考えるよい機会となりました。

「あとりえ企画」担当 金子春美

2001・水俣ハイヤ節 竹の炎 竹楽器の演奏

袋町の棒踊り 共演 荒馬座


いただいた感想

  • 「今まで学校で習ったことしか知らなかった水俣。そこで生きて実際に患者さんをご家族に持つ杉本肇さんのお話はとても興味深く、生の声が聞ける貴重な時間でした。『切れたもやいをもう一度つなぐ』という言葉が心に残りました。切れてしまったものでも、もう一度つなげばいいんだと思い知らされました。お話しの後に聞いたハイヤ節はそんな背景を少しわかった上で、そこにその地の人たちの思いをより深く感じながら聞くことができました。」
  • 「『竹の炎』のコミュニケーションのよさ、感情表現のすばらしさ。棒踊りの体力の限界を感じるまでの披露。水俣で生活している生の肉体表現に感動しました。」
  • 「水俣病というと暗く悲しいイメージしかありませんでした。その中でこうして芸能で再生していこうという動きがあることに感動しました。そして、肇さんの『家族』という思いにも考えさせられました。『加害者となる人にもその背景がある』忘れてはいけないことだなあと改めて感じました。」
  • 「『杉本家の五十年』のお話では、肇さんが家族の水俣病に苦しみ、その中でがんばって生きてきて、時には水俣を嫌いになっても、最後には水俣病を世の中に知らせようとしていく心の変化に胸を打たれました。また、『竹の炎』の演奏を聞いて、竹ってあんなにキレイな音が出るんだなぁと感動しました。なんだか懐かしい音でした。」
  • 「水俣病でズタズタになったふるさと・人の心が、地元の芸能によってつらい時期を支えられ、今も地元の芸能の発展に活躍しているなんて、民族芸能の力をみせられた気がします。そして、そこからさらに新しいものを創り出す皆さんの力。病と闘ってきた水俣の人々ならではのパワーだと思う。私も同じ人間、同じ力が自分にもあると感じられるすばらしい演奏と踊りでした。水俣にぜひ行きます。」
  • 「同じ地域の中で、加害者・被害者、そして病気による差別や偏見があったこと。民水俣病のために、ある日突然人のきずなが引き裂かれてしまったことに衝撃を受けました。でも、肇さんがおっしゃっていたように、これからの水俣の50年、どうしていかなければならないのか、水俣に生きる人々の人間力に感動しました。引き裂かれた人々のきずな、でもそれを再生して、これからを築いていくこの人間力のすばらしさを感じました。」
  • 「水俣の当時の状況がたいへんよくわかりました。『荒れた気持ち』を抱えながら苦しむ青年たちは、きっと水俣だけではないのでしょう。その水俣の話を聞いてからの芸能はさらに感動が高まりました。」
  • 「お話の中で家族の大切さがくんぐん伝わってきました。いじめる人、いじめられる人、それぞれ表面だけでなくその後ろに隠されているものを見なければいけない、本当にそうだと思います。自分の仕事にも関わりがあり、人を見抜く目や心を自分自身がもっとつけていくと同時に、そんな人となるように、子どもたちへ伝えていきたいと思いました。」
  • 「肇さんと同じ年に生まれ、同じ時代を生きてきた私ですが、お話がまるで別世界の話のように思えました。でも未来に対する思いは同じだと確信しました。袋地区の棒踊りはすごい!驚きました。実際に地元で踊られているのを見てみたいです。」
  • 「やはり芸能の力というのは、底強いものがありますね。生きていく力とはこういう所から生まれるのでしょう。」
  • 「水俣の話をじかに聞くことができ、教科書やニュースでは知り得なかった患者さんやその家族の方の苦しみ、つらさを知ることができました。まだまだ終わりの見えない課題が山積みでしょうが、そんな中に水俣に住み、水俣を愛する人々の想い、未来へつなぐもやいづな...この地に伝わる芸能や新たに創作された芸能から感じることができました。」

袋町の棒踊り 共演 荒馬座