活動レポート

沖縄の踊りを学ぶ  琉球舞踊家佐久本稔さんをお迎えして

2009年12月26日・2009年12月27日

荒馬座創立四十周年記念公演の際にも舞踊協力でお世話になった琉球舞踊家の佐久本稔さんとお弟子さんお二人をお迎えして、荒馬座の演技者たちが沖縄の踊りを学びました。年の暮れに雪の舞い散る「八千穂民族芸能センター」にて、2日間にわたってご指導いただきました。

沖縄の雑踊り「谷茶前」(たんちゃめー)を学ぶ (荒馬座創造委員会 金子満里)

写真 佐久本稔さんは、故宮城美能留氏を中心に結成された「沖縄歌舞団」を経て、1989年に宮城流佐久本舞踊研究所を設立。翌1990年に子ども舞踊集団の童舞花わらびを結成。今年で結成二十周年。現在も門下生20数名を率いて沖縄を始め日本全国に活躍の場を広げています。

前回は荒馬座創立四十周年記念公演「誓い新たに」に向けて、女性の群舞として「まみどーま」「稲しり節」を教えていただきました。おかげさまで、その後も『明日へのまつり』や『祭だわっしょいどーんとハレ』などの作品の中で「沖縄の唄と踊り」として演目に取り入れています。

写真 今回は、男女ペアで踊れるものをということで、漁師の踊り「谷茶前」(たんちゃめー)を教えていただきました。
「谷茶前」は、海を相手に汗を流す漁師と、その男たちが獲った魚を頭に載せて売り歩く女性のたくましさを表した踊りです。男性は櫂を片手に、女性は魚を入れる「籠」(バーキ)を持ち、二人で組んできびきびと踊る「打ち組み踊り」という踊りです。
始めは、沖縄独特の曲調がなかなかつかめず、それと踊りの振りとを合わせていくのにたいへん苦労しました。男性陣は、漁師の力強さは出るものの、琉舞の型独特の足の踏み方、回り方、すり足、櫂の持つ手の位置など、基本の所作を習うのが初めてで戸惑い気味。女性陣は、女性の内面を表現する、男性に対する恥じらい、思いを相手に届ける差し手のニュアンス、面(顔)の左右の傾け方、肩の位置などが難しく、踊るたびに先生からの指摘が増え、気が付けば午前中3時間、午後5時間と夜の8時近くまで休憩なしの踊りっぱなしで、身体はヘトヘト。でもこんなに集中して踊り漬けの日々は何て幸せと、充実感いっぱいでした。

写真 それにしても、佐久本先生の芸に対する情熱には感服するばかり。稽古中でも時折見せてくれる空手振りの男性的な力強さ、女性舞の美しさ・色っぽさ、男性への怨念を表現した姿など多面多様に変化する人間の感情の幅を、舞いを通して瞬時に表現してまうその表現力と、飽くなき芸への探求心に今回も圧倒されてしまいました。
稽古後の夜の交流会でも、座員が自己紹介しているところをいつの間にか先生にしゃべりを持って行かれてしまう私たち。それでも荒馬座のひとりひとりの演技者の性格や癖をすぐにつかんで指摘して励まして下さったり、すべてを見抜かれるようなごまかせない気持ちになってしまう佐久本先生の眼力!

写真実は私自身も、先生に「あなたにとって芸とは?芸筋(芸に対する心構え)とは何ですか?」と突然聞かれ、思わず言葉につまってしまったのでした。
物事に対する興味関心、日々のできごとを常に突き詰めて整理して自分なりの哲学として芸の世界に落とし込んでいく、そこにゆるぎのないものを感じました。

「マミドーマ」と「稲しり節」を学ぶ 荒馬座創立四十周年記念作品『誓い新たに』

写真 2007年の2〜7月に上演した荒馬座創立四十周年記念作品『誓い新たに』で新たな舞台演目として「沖縄の唄と踊り」の「マミドーマ」「稲しり節」を取り上げました。2006年11月には、沖縄で子ども舞踊団『童舞花わらび』を主宰する舞踊家佐久本稔さんに振り付けを依頼し、踊りの手ほどきをうけました。

「マミドーマ」は八重山の竹富島に生まれた働き者で美しい女性、「稲しり節」は稲穂から精米にして俵にするまでの行程を踊りにしたもので、どちらも農耕の様子を表します。

写真 稽古では、佐久本さんのエネルギッシュで洞察力の鋭い指導に引き込まれながら、いつしか沖縄独特のリズム感・腹の底からのかけ声が本当に気持ちよく、気分だけはしっかりと「マミドーマ」になっていました。

写真 沖縄の人々は沖縄戦やそれぞれの時代の圧政を背負いながらも、唄と踊りを生み出し生きる糧とし、闘いよりも芸能の力を頼りに生きてきました。「結い」や「イチャリバチョーデー」(出会えば皆兄弟)といった言葉に象徴される魂のこもった踊りを沖縄に生きる女性たちに重ねて、底抜けに明るく、私たちが自身の生命を燃やし輝かせることで、沖縄の心=生きることの尊さをまっすぐに伝えるような踊りを踊っていきたいと思っています。「命こそ宝」の誓いを込めて...。

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