活動レポート

美里センター企画「つながれ ひろがれ までいの力」

2015年2月 8日

2015年2月8日に埼玉県児玉郡美里町の美里民族芸能センターで、美里センター企画として「つながれ ひろがれ までいの力」をおこないました。

ドキュメンタリー映画『飯舘村の母ちゃんたち』の上映、菅野栄子さんのお話、参加者のみんなで味噌づくり体験など、もりだくさんの企画でした!

までい」は「心を込めて、丁寧に」という意味の方言です。
飯舘の方々は自然と共生しながら、一歩ずつ着実に、まさしく「までい」な暮らし(飯舘版スローライフ)を営んできました。地震と原発事故で全村避難を余儀なくされた飯館村、村の人々が困難を乗りこえ復興に向かうには、先人が築いた「までいの力」が大きな力となっています。

今回の「つながれひろがれまでいの力」は、
・ドキュメンタリー映画映画『飯舘村の母ちゃんたち』(ダイジェスト版)の上映
・飯舘村の「さすの味噌」の生産者である菅野栄子さんのお話
・参加者みんなでの味噌づくり体験
...「さすのみそ」の遺伝子(種味噌)を利用したみそづくりプロジェクトによる味噌づくり(菅野栄子さんを親味噌として)

などから、飯舘村の人々の「までいの力」にふれる企画でした。

※なお、今回の企画は、「福島支援『味噌の里親』プロジェクト」のご協力のもとでおこないました。

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▲菅野栄子さん   ▲種味噌を配る角掛さん

美里準座員が味噌づくり囃子▼ 味噌づくり▼

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味噌づくりの輪を広げて 味噌の里親プロジェクト 角掛康弘さん

2011年3月の東日本大震災から四年の歳月が過ぎます。
テレビなどで写し出される被災地の信じられない惨状と、そんな中でも支えあって必死に頑張っている被災者の姿を見て、全国からたくさんのボランティアの方が被災地に向かいました。私もその中の一人でした。
そして、人の繋がりの不思議な縁で、飯舘村と佐須の味噌と出会うことができました。日本で最も美しい村を目指し、「までいな暮らし」を誇りにしていた飯舘村。地元で栽培した大豆と米を使い、農家の女性たちが作る味噌は、飯舘村の佐須の味噌として地元のみならず多くのファンがいた郷土の誇りの味噌でした。東京電力福島第一原発事故により、飯舘村に降り注いだ放射能。土壁の中で大きな胡桃桶に護られていた佐須の味噌は、奇跡的に放射能の浸入を許さず、素晴らしい状態で残っていました。そしてこの貴重な佐須の味噌を飯舘村の遺伝子を繋ぐ「種味噌」として活用し、こだわりの材料での味噌作りの時に加えることを思いつきました。
2011年12月から始まった味噌作りワークショップの輪は少しずつ拡がり、荒馬座さんが加わっていただいた今年は関東各地で13回のワークショップが開催でき、念願だった飯舘方式に準拠する味噌作りを4月18日・19日の二日間福島で実施できる見通しにまでなりました。 

荒馬座さんとの出会いは昨年5月の味噌の天地返しの際、サプライズ演出で福島から駆けつけてくださった皆さんをお迎えする太鼓やお囃子をしていただいたことがきっかけでした。この2月の美里民族芸能センターでの『つながれひろがれまでいの力』では、太鼓やお囃子と味噌作りが見事に調和し素晴らしい感動と盛り上がりになりました。仮設住宅から駆けつけてくださった菅野栄子さんもたくさんの勇気を皆さんからいただいたと感激の様子でした。そして栄子さんの最後の言葉が胸に突き刺さりました。

 「私たちは被災者からやがて行き場のない難民になり、最後には忘れ去られてしまう棄民になってしまうのかなと考えてしまうことがあります...。」

私たちは被災者をそして福島を忘れないための活動をこれからも続けていかなければと思いを新たにしました。荒馬座に関わるより多くの皆さまにも味噌作りの輪が広がり、より大きなパワーと熱気を被災者の方に届けていただければと願ってやみません。

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