活動レポート

シリーズ「鑑賞教室と子どもたち」


シリーズ1 「子どもの中に残る太鼓の響き」

 塾や習い事で毎日忙しい子どもたち。スケジュールが合わず、友達と遊ぶ時間はほとんと無いという子どもがいる。私たち教師も会議や研究会に追われ、ゆっくりと子どもたちと接する時間がなかなかとれない。放課後は、人とのかかわりを作っていくうえでとても大事な空間。そんな空間やゆとりが奪われている。
 一方、ゲームやパソコンなどは与えられていても、家族と一緒に演劇やコンサートを鑑賞した経験が無いという子どもは、半数以上にのぼる。

 そんな中で、演劇鑑賞教室は、みんなで感動を共有できる貴重な場だと思う。
 ここ数年、演劇鑑賞教室の担当として、「みんなで感動が共有できる」「いろいろな表現方法があることが伝えられる」という視点で劇団を選んできた。そして、「日本の子どもに日本の民族芸能を伝えたい。」「飛び散る汗、はじける笑顔を目の当たりにしてほしい。」そんな思いをこめて荒馬座「ひうけやみのれ花太鼓」を昨年の10月に鑑賞教室の作品に選んだ。

 子どもたちの中には、半年経った今も太鼓の響きが残っている。子どもたちとのふれあいを大事にしながら活動している荒馬座に、いつまでも子どもたちの心に残る演劇鑑賞教室を今後も期待したい。

(練馬区立開進第一小 青野淳子さん)  第218号(1998年7月1日発行)より



シリーズ1 「身体全体で観ている子どもたち」

 昨年6月。梅雨の合間のいい天気。気温も高くなり体育館は少し蒸し暑い。でも天井いっぱいに張られた幕が高窓から吹き込む風にはたはたとなびいて何だかさわやか。さっきから時折聞こえてくる太鼓の音にソワソワしていた子どもたち。体育館の中に 一歩足を踏み入れたとたん、目をまん丸にして小さな歓声を上げる。
 「これがいつもの体育館?」
こんなにきれいに飾られて、これからどんなことが始まるのだろう。

 虎舞のまくりにさわったり、大凧を引っ張ったり。座員の笑顔としたたる汗に子どもたちは感動。おまけに教員の「ぶちあわせ太鼓」も前座で子どもたちに披露する機会を作ってくれた。なんと大胆な。でもこんな素敵な舞台で太鼓を叩けたなんて一生に一度かもね。

 荒馬座の演劇教室の出し物は、妙に子どもに媚ぴたりせず誠実なので大好きだ。演技者も凛としていて、でも親ている誰をも包みこむような暖かさがあって。だから子どもたちも普段見せたこともない様ないい顔して心の奥を揺さぶられて身体全体で観ている。塾や習い事やゲームに忙しい子どもたち。せめて年に一回演劇教室で文化に触れ、心の底から感動できればと願っている。さて今年は、何にしようか。

(江東区立枝川小 木部久子さん)  第218号(1998年7月1日発行)より



シリーズ2 「響け和太鼓!今こそ子どもたちの心に!」

 今、ズシーン!とひとり一人の心に「響きあう感動」と言うものが社会の中にあるのだろうか?
 政治的にも経済的にも自立できない我が国にあって、福祉も教育も益々困難な状況に追いやられようとしている。
 ましてや、文化の面においてはマスコミの限度を知らない「性の暴力」路線が、止まることなく少年少女の心を蝕んでいる。
  しかし、21世紀を目前にして、「こんな日本ではいけない!豊かな福祉や教育、そして共有すべき文化を、これからの世界の主人公である青少年に責任を持って引き継ごう!」という、新しい歴史を望む国民の力も今、大きく胎動してきた。
 2002年から、学校5日制が完全実施される。しかし、その方向を見るかぎり、詰め込み教育の圧縮化であり、真のゆとりや文化的要素は排除されようとしている。
 誰もが理解できる学習と、文化を共有できる「人間の発達」こそが21世紀の学校教育に求められ、その現実を国民の課題としなくてはならない。

 「荒馬座」とのふれあいをこれほどまでに大切にしてきた私たちの実践を見直し、子どもたちが、何を求めているのかをもう一度真摯に見つめ直す時期に来ている。
 1966年と言えば、我らの「荒馬座」が東京に誕生した記念すべき年であり、私も初めて教員となった年でもある。その意味でも「私自身の文化」と、「子どもたちに伝えたい文化」のため、これからもしつこく「荒馬座」につきまとっていきたい。

 (今から十数年前に、藤谷先生との出会いをきっかけに、養護学校の子どもたちと公演を創りあう活動が生まれ、民舞・太鼓の実践や鑑賞教室が多くの養護学校にひろがりました。)

(都立七生養護学校教諭 藤谷 浩さん)  第219号(1998年9月1日発行)より



シリーズ3 「これからも魅力ある舞台を」

 私は中学校の障害児学級の担任をしています。一学期、校内の通常学級の一年生の体験入級を受け入れていました。通常学級の授業では、大声を出したり、教室を抜け出したりという生徒でした。体験入級に来て、少しは落ち着きましたが、やはり、授業中の大声等は変わりません。
 そして、ある日の「表現(週一時間、和太鼓をやっています)」の授業。休み時間、校内をふらふらしていた彼は、授業の始まりに遅れて来ました。そこで一計を案じ、彼が入ってくるや否や、三年生三人がぶち合わせ太鼓(なかなかいい太鼓なのです)を打ち始めました。すると、予想どおり、打ち出しから打ち上げまで、声も出さず、太鼓を食い入るように見つめていました。
 また、私は地域の知的障害者の作業所の余暇活動として、月一回太鼓をやっているのですが、それまで参加はしても、決して太鼓に向かおうとしなかった青年が、一年以上の経過を経て、どういう気持ちの切り替えだったのか、ある日、目をつぶりながら、本当に幸せそうな表情で(口伝とは全く関係ないリズムですが)、太鼓を叩きました。それを見ているこちらもまた、本当に幸せな気分にさせられました。

 何が彼らを引き付けるのでしょうか。叩けば誰でも音が出ることや、身体にドーンと響いてくる音等、太鼓そのものの持つ魅力はあるでしょう。しかしそれだけでなく、私自身が、荒馬座の講座等で学ばせてもらった太鼓の楽しさを、曲がりなりにも彼らに伝えたい、という気持ちで彼らに向かっているということも大きいと考えています。これからも魅力ある舞台を見せてもらいたいと思います。

(八王子市立宮上中学校教諭 山下洋児さん)第220号(1998年10月1日発行)より



シリーズ4 「子どものかわりはじめる瞬間」

 風薫る5月、鑑賞教室で「風のまつり」を公演していただいた。これからどんなことが始まるのかワクワクして席に着く子どもたち。「体育館に入った時、とてもきれいで驚いた。」とI君。そして開演。会場中に響く太鼓の音に「オー」という声があがった。「あんなに大きな太鼓を初めて見た。」「ドーンと響く太鼓の音にびっくりした。」のはA君。でもA君ばかりではない。会場にいる子どもたちみんなが荒馬座の世界に魅せられはじめている。会場を所狭しと時に力強く、時に柔らかくしなやかに踊る座員の姿、したたる汗さえも子どもたちは見逃さない。子どもたちは全身で荒馬座を感じている。

  「教室に帰る時、お兄さんが『楽しかっ〜。』と聞いたので、僕は『とっても楽しかったよ。』と言ったら『ありがとう。』と言ってくれた。嬉しかった。」とT君。座員の方の心からの笑顔に子どもたちも温かいぬくもりを感じたに違いない。「僕も荒馬座の人みたいに太鼓を叩いてみたくなった。」のはR君。子どもたちにも太鼓を叩く気持ちよさを味わせたいとも思う。子どもたちの心に届いたさわやかな風。「やってみたい」と吹いた風に教師はどう答えてあげられるのだろうか。

 まずは実践あるのみ、5月の末の運動会で応援団の入退場に太鼓を取り入れてみた。4年生のみの編成となってしまったが、叩く楽しさがわかってか練習後も太鼓のそばを離れない。そして今、12月21日の音楽会に向けて6年生全員がまつり太鼓を練習している。朝・休み時間・放課後も熱心に太鼓にむかい、誰とはなく「せーの」の掛け声とともに心を一つにして太鼓を叩いている。
6年生がまさにかわりはじめている。その姿にこちらまで胸が熱くなってくる。鑑賞教室以来、子どもたちの心に太鼓は楽しいという風が吹き続けているのは確かだ。そして6年生の先生から嬉しい一言「他のことに見向きもしない男の子がくらいついているねー」。
音楽会を目前にして、学校中に太鼓の音が鳴り響いている。

(多摩市立連光寺小学校教諭 岩崎直美さん)  第221号(1998年11月10日発行)より



シリーズ5 「学校公演を通して子どもたちは地域とつながった」

プロと共に作る授業をめざして
 前任校の調布養護学校では12年間、毎年荒馬座に来てもらい公演を行っていました。主任手当の拠出金を使って呼んだのです。この学校では、現在準座員をしている渡辺圭太郎さんを中心に民舞や太鼓の実践が盛んで、私も異動してきた一年目からその流れに加わっていきました。
 最初は荒馬座の公演をそのまま見るということが中心でした。しかし学校内でも行っていた「荒馬踊り」や「ソーラン節」といった演目では、その中に子供達を参加させていくといった試みが始まるようになりました。そしてプロの座員と一緒に、見ている子供達が全員で踊ったり叩いたりするという実験的な舞台が作られていったのです。
 荒馬座の公演内容を大切にしながら、その流れをこわさないように子どもたちを参加させていく......今思えばとても大胆な試みでした。しかし員と協力しながらこの舞台を完成させていったのです。私の側から見れば、まさに「プロと正に作った授業」でした。

地域とつながる公演へ
 この公演はしだいに地域への広がりを見せ、周りの障害児学級や、地域の人々が見に来てくれるようになりました。荒馬座の公演がこうした人々に感動を与えていったのは言うまでもありません。そしてその事に加えて、養護学校の子供達が地域の人々の前で踊り叩くといった場が提供されたのです。今まで学校の存在は知っていても、障害のある子供達と接する機会のほとんどなかった人達が、プロに交わって生き生きと踊り叩く子供達を見て、認識を新たにしてくれました。また子どもたちも、みんなの前で踊る事に喜びを感じていました。

日本の文化を持った子供に
 日本の、特に東京に住んでいる子供達は、ほとんど自分の国の文化を受けついでいるとはいえない状況にあります。荒馬座の公演はそうした子供達に、日本の文化としての芸能を提供してくれているのだと思います。芸能の中に加われば、障害を待った子供達は普段よりさらに光り輝きます。伝統芸能の持つ不思議な力です。そうした文化を持った子供達を育てるため、これからも学校公演を通して、荒馬座は人々とつながっていってほしいと望んでいます。

(都立小平養護学校 今津清彦さん)  第225号(1999年4月10日発行)より



シリーズ6 「『母里のまつり・森の詩』との出会い」

 5月1日、鑑賞教室廃止が騒がれているそのさなか、本校体育館で待望の女の赤ちゃんが産声をあげた。
 そうです。一年前から予約していた「母里のまつり」が上演されたのです。当日は、メーデーということもあって、朝6時からの仕込みには総勢30人近くの座員と準座員が集まった。見たこともない小道具たち。感心して見とれていると、「それはこっちよ」と現実に引き戻す座員の声。その迫力ある仕込み風景せめて、クラスの子どもたちだけにも見せたかったなあと、後悔する私。
 さて本番。しっかりと見入っている子どもたち。私はといえば、子どもたちから離れて、全体の構図を思いっきり頭に叩き込んでいた。

 鑑賞教室を終えて教室に戻るやいなや、子どもたちの生き生きとした顔に圧倒され、感想を聞いてみた。
「先生、やっぱりすごいね。声は大きいし、いっぱい汗をかいてたね」
「今度はどこのカーテンが開くのかって、あっち見たりこっち見たりしてたよ」
「太鼓の音がお尻や心臓に響いたよ。ぼくも、やってみたいなあ」
本音しか言わない私のクラスの子どもたち。その子たちが、「よかった」と評価している『母里のまつり』。
今度は、先生方に聞いてみた。
「たくさん拍手したかったけど、どこでしたらいいのかわからなかったわよ」
「運動会で使えそうな踊りがいっばいあって、感激したわ」等いろいろ。
 そして、5月30日。本校大運動会。子どもたちは、「民舞とは何か」ということを体全体で感じとってくれていたので、練習期間からすごい迫力。私が太鼓の安否を気遣うほどの毎日だった。ソーラン、エイサー、みかぐらの熱演に、大きな拍手をもらった。特にエイサーでは、唄、三味線、指笛などの全てを生で行い、新聞に掲載された。

 本校には、鑑賞教室を必要としている子どもたちや、先生方がたくさんいる。母里のまつりに傾倒し、民舞とは何かを本気で子どもたちに教える同僚たち。そして、それらをしっかりといのちで受け止める子どもたち。この関係がある限り、鑑賞教室は存続していくだろうと思わされた。

(板橋区立高島第六小学校 堀井圭子さん)  第228号(1999年7月1日発行)より



シリーズ7 「すばらしい感動をすべての子どもたちに」

 いま、学校では学習指導要領の改訂や少子化問題等で学校の行事がなくなってきています。子どもたちが生の文化に触れる貴重な機会のひとつでもある「鑑賞教室」を続けていくこともたくさんの先生方の努力なしには語れません。
 墨田区では、区の補助金制度を活用しながら、児童数の少ない学校でも観たい公演を金額に関係なく公平に観られるという方法をとっています。

 今年の演劇教室は、荒馬座の新作『母里のまつり森の詩』を鑑賞させていただきました。新作とあって、とても楽しみにしていました。
 前回の『風のまつり』と、趣も内容も一新され、また新たな魅力と感動をうけました。クラスの子どもたち(三年生)の感想は
 ・「ヤッホー! ヤッホーー」と、あっちこっちから顔を出したり、すごい声がして不思議だなあと思いました。  ・太鼓の音が一番大きくて、心臓もバクバクしました。  ・お話をしたり、歌を歌いながらクルクル回っておどっていました。つかれているのにみんなにこにこ笑いながら生き生きとしていたから、たのしそうだなあと思いました。
 ・おどっている人の顔を見たら、みんな顔と顔の後ろにあせをいっぱいかいていました。顔がピカピカになっていました。
 ・最後に、荒馬座の人とあくしゅをしました。すごかったです。
 書ききれないほどの感動をあたえてくれた今年の演劇教室は、大成功でした。

 墨田区では、区教育研究会児童文化部の事業の一環として、区より鑑賞料金の半額を補助してもらっています。この補助金のもとで毎年区内30校の小学校で演劇教室が実施されています。墨田区内は、単学級の学校も多く、全校児童が二百人未満の学校も数校あります。鑑賞料金がすべて個人負担となると、児童数の少ない学校は、割高となり演劇教室の実施は難しくなります。
 決して恵まれているとは言えない墨田区の財政の中で、豊かな心を育むために、大切な予算が有効に活用されていることに大いに感激しています。
 演劇教室を通して、すばらしい感動を受けた子どもたちは、墨田区の大きな財産です。

(墨田区立東吾嬬小学校 横田愛子さん)  第230号(1999年10月1日発行)より



シリーズ8 「東京・東久留米市の演劇鑑賞教室」

 この秋10月から11月にかけて、東久留米市の小学校を「ひらけやみのれ花太鼓」が巡演しています。作品の選定にあたっては各校から一名ずつの実行委員が出され、担当の校長先生一名を加え、いろいろな作品を下見し検討され決定されます。
 東京都東久留米市は人口約13万人のベットタウンである。小学校16校、中学校7校、財政的に決して裕福とは言えない市だ。

 この小さな市で、<東久留米方式>といってもいいような演劇鑑賞教室が毎年小学校で実地されている。同一劇団の同一演目をすべての子どもたちが観ることができる。もちろん公費で。
 上演料は劇団の希望には遠く及ばない。にもかかわらず、定評のある演目が上演されるのである。
 ・劇団仲間「小さいけしの花」
 ・ひとみ座「ズッコケ三人組」
 ・ガイ氏即興人形劇場ごんぎつね」「ぶす」
 ・えるむ「地べたっこさまやーい」
 ・いちょう座「サウンドラマ」
 一九九四年からの演目である。そして今年が、荒馬座の「花太鼓」というわけだ。
 こうした演目はどのように決められるのだろうか。
 都の夏休みの児童演劇フェステバルの中から数演目を演劇鑑賞教室実行委員会(各校一名の実行委員で構成)で選び、さらに7、80名の下見を経て決定されるのだ。
 こうして下見会を準備することによって一番変わってきたのは教師の鑑賞眼だろう。公費での演劇教室だけでなく、単独校での演劇教室、地域でのよい劇を観る会などの開催によい影響を与えているのは間違いない。

 地域自治体の財政難の折、隙あればこうした学校文化予算をカットしようとする動きに対して、それを全力を挙げて阻止しようとしているのは、演劇教室などの文化行事は子どもの成長に欠かすことができないからだ。非日常的な、身も心もリラックスできる楽しい空間は子どもの生きる力に確実になる。目の前で、演技者の息遣いを感じ、流れる汗を目撃し、登場人物の生きざまに共感したとき、子どもの何かが変わるのだ。
 そうした意味で、今回の荒馬座の「花太鼓」には大いに期待している。民舞や和太鼓は東久留米の小学校では運動会などの学校行事で取り組まれることが多い。荒馬座の演技が東久留米の子どもたちにどんな波紋を起こすのだろう。

(東久留米市立第九小学校 福田三津夫さん)  第231号(1999年11月1日発行)より



シリーズ9 「『ふるさと』を子どもたちに届ける」

  「ヤッホー」 はじめに聞こえてきたのは、こだま...。
 流れる笛の音は、まるでそよ風を思わせ、四方の木々の影からひょっこり顔を出した笑顔にわくわくする様な胸のたかなりを感じました。
 みごとに創り出された体育館の森の中では、観客の子どもたちの目があちらにこちらにと、きらきら回ってあいた口元の笑みを見た時、荒馬座公演に決めて本当によかったと実感しました。
 今回の公演はPTAが成人学習の一つとして親子で、又は、地域で楽しめる催し物をと企画しました。たくさんの資料の中から私達の目をひいた一枚の写真、躍動感あふれる踊りとさわやかな笑顔が印象的な写真でした。

 釜利谷南小は開校十周年を昨年終えたばかりのまだ、新しい学校です。ピアノやその他の洋楽器はありますが、邦楽器は一つもありません。
 運動会で使用している大太鼓も実は借り物。地域的にも新興住宅街の一角に位置し「おまつり」の歴史がまったくない地域の子どもたちも通っています。

 私たち母親世代のふるさとの思い出の中には当然の様に「おまつり」がありますが、琴や笛の音色、太鼓の響きを実際には聞いた事もふれた事もない子どもたちが大勢いるのです。
 今、この地が「ふるさと」となる子どもたちの為にも日本中の人々の心の豊かさを知ってもらいたい。映像ではなく、本物の音を聞かせてあげたい。そんな気持ちから公演をお願いしました。
 当日は地域の方々もたくさん集まっていただき大人も子どもも荒馬座のパワーあふれる公演を楽しみました。アンケートを見ても座員の皆さんの演技力、歌唱力のすばらしさその迫力に感動したという方がほとんどでした。
 最後まで力をぬかない皆さんの演技は子どもたちの胸にもしっかりと刻まれ、日本の民舞のすばらしさやおまつりの楽しさを教えていただいたと思っております。
 近隣の学校のPTAも同じ様な思いを持って子どもたちを見守っている事でしょう。これからも皆さんのご活躍を心よりお祈りしております。

(横浜市立釜利谷南小学校PTA 草開功子さん)  第232号(2000年1月1日発行)より



シリーズ10 「民族芸能との初めての出会い」

 わくわくするような銅鑼の音に続いてはじまった、荒馬座の演劇教室『母里のまつり森の詩』。
 会場に入った途端に、舞台の大胆さに目を奪われる。体育館一杯を森にしてしまう、荒馬座ならではの舞台づくりには、いつも感心させられる。
  「ヤッホー。」と体育館の左の端から呼びかけると、子ども達は声の出所を探るように、首を左右に振る。
 そして、日本全国北から南から、もりだくさんの踊りと太鼓がはじまる。
 「国頭サバクイ」からはじまって、「まみどうま」「アンガマ」と沖縄のリズムは明るい。そしてなんたって生の三線がいい。
 「外山鹿踊り」。踊り手の足さばきと揺れる白い鹿の髪に、民族舞踊の伝統を感じさせる。  圧巻はなんと言っても「鹿踊りのはじまり」。琴の音に乗せて物語が進んでいく。夕日の中で、嘉十と鹿たちが踊る情景が、目の前に浮かんでくる宮沢賢治ワールドを、荒馬座がどう表現するかも興味があった。鹿のかわいらしい仕草に、子どもたちは大喜び。なかなかの出来栄えだった。
 第三葛西小学校に赴任してから、子どもたちと「国頭サバクイ」「荒馬踊り」など、運動会の表現には、民舞を取り入れて踊ってきた。そんな中で、ぜひ荒馬座の学校公演を実現したいという思いが、芽生えていた。

 今の都会の子どもたちは、民族舞踊はおろか、和太鼓の音に触れることもほとんどない。私の大好きな民族舞踊を、間近で見せて上げたい。そんな思いから、職員に提案し、やっと実現した企画である。盛りだくさんすぎて、消化不良にならないかと心配もしたが、この演劇教室で民族舞踊に出会わなかったら、もしかして一生出会わないかもしれないと思うと、やっぱりやってよかった、というのが実感である。

 そうそう、演劇教室が終わって一・二週間後、去年、アイヌの踊りを踊った二年生が、朝、私の顔を見ながら、「ハエイーハエイー」とバッタの踊りをして歩いていったっけ。演劇教室で見た「ク・リムセ(弓の舞)」に触発されたのだろう。やっぱり演劇教室はいい!

(第三葛西小学校 藤井千津子さん)  第233号(2000年2月1日発行)より



シリーズ11 「子どもたちへの心の贈り物」

 埼玉県の大宮市、その大宮の西部に位置する開校30年の学校です。
 99年に30周年の記念の節目の年に文化行事の一環として、子どもたちになにか観せてあげられないかという考えがPTA方々から寄せられました。子どもたちに『心の贈り物』をしてあげたいというPTAの方々の熱意で学校側に予算、内容を全校一任で委ねられました。
 職員の中で「どうしようか?」「なにを観せてあげれば子どもたちの心に届くのか」を考えました。ある先生の中から「荒馬座の公演は?」という意見が出されました。「荒馬座の公演を観たことがあるよ。我が子が荒馬座の公演を観て、すごく集中して感激していた」ということで、スムーズに決定していきました。
 子どもたちに『心の栄養を、心の贈り物』ということを中心に考え、動けた結果だと考えています。当日までの打ち合わせも楽しく進み、当日を迎えることになりました。

 朝も早くから体育館へのセット。体育館はいつもの体育館から別の世界へ変化していきました。子どもたちは低学年の一年から三年まで、四年から六年までと分かれて観劇しました。体育館に入ると舞台装置に「ワオー」母里のまつり森の詩のふくろうを見ては「キァ」と始まる前から興味深々。初めて目にする和楽器、太鼓の音に「おぉー」と低学年の子ながらに、舞台に引き込まれていました。やはり、というかさすがというか高学年の部では子どもたちの集中度も深まり、PTAの方、ご招待の方たちも含め、まばたきもしないで見入っていました。子どもたちへのアピール、作品の構成も観せる相手によって変化させていく様子もすごい。観客を物音ひとつさせないで集中させていきました。
 子どもたちへの『心の贈り物』として、最高の物が渡せたと思います。
 この後、当分は観劇会の機会が巡ってくることはないでしょうが、この30周年の機会に荒馬座の公演に取り組めたことをとても良かったと思っています。

(大宮市立西小学校 松島清江さん)  第234号(2000年3月1日発行)より

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